武器掲げた28歳、心は死んだも同然 仕組まれた選挙「もう疲れた」
第1回武器掲げた28歳、心は死んだも同然 仕組まれた選挙「もう疲れた」
タイ北部=笠原真2025年12月28日 15時00分
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「体だけが生きている。心は、死んだも同然なんだ」
男性(28)は「テッピン」と名乗った。戦闘員時代のコードネームだという。
短く刈り込んだ頭の左側に、深い傷痕がある。昨年4月、すぐ近くで国軍の砲弾が破裂した時に負った。今も右足を引きずって歩く。
2021年、テッピンは最大都市ヤンゴンで、国軍のクーデターに抗議するデモの群衆の中にいた。民主化指導者アウンサンスーチー氏のもとで、「国は着実に発展している」と感じていた矢先の政変だった。スーチー氏を拘束し、国の統治を勝手に始めた国軍を倒したかった。
デモの最中、親友が治安部隊に撃たれて亡くなった。「次は自分が命を落とす番かもしれない」。武器を取り、戦うことを決意した。
その頃、デモを武力弾圧された若者たちが「国民防衛隊(PDF)」を名乗り、各地で武装蜂起していた。テッピンも迷わず参加した。軍事訓練を受けたこともない若者たちだったが、「国軍打倒」の一点で結集し、士気は高かった。
同年代の兵士の遺体 感情失う自分
テッピンの任務はゲリラ作戦の遂行だった。仲間と草むらに隠れて国軍の車両を待ち伏せし、合図で一斉に銃撃する。
ただ、どこか戸惑いもあった。「目的は国軍支配からの脱却であって、敵を殺したいわけではない。国軍兵士にも、家族がいるはずだから」
2年間で50回以上、襲撃に加わった。毎回、任務の後には、自分と同年代の国軍兵士の遺体が積み重なっていた。誰が自分の銃弾で倒れたかはわからない。罪の意識を感じそうで、顔は見ないようにした。急いで武器や弾薬を奪った。
民主化を求め、武装勢力に加わったテッピン。国軍を倒すことを目標に戦ってきましたが、負傷を機に離脱。一方で国軍は今も権力を握り、崩れる気配はありません。記事後段では、テッピンがある心境の変化を語ります。
死の危険に直面しても、「戦闘員なら当然」と不思議と平気だった。だが、割り切れなかったのは仲間の悲報だ。同じ部隊で100人以上が死んだ。
でも、そのうち、仲間の死にも動じなくなった。
「1人死ぬと悲しい。2人死…
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この記事を書いた人
笠原真
ヤンゴン支局長兼アジア総局
専門・関心分野
紛争、難民、格差
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